盛岡地方裁判所 昭和26年(ワ)97号 判決 1956年5月31日
原告 野崎丑松
被告 細田長太郎
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、被告は原告に対し金十五万円及びこれに対する昭和二十六年六月十四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とするとの判決及び仮執行の宣言を求め、請求の原因として原告は昭和二十四年一月七日訴外亡菊地政子と事実上の婚姻をし、内縁の夫婦として原告の住所で同棲して来たが、昭和二十五年十一月二十七日政子は盛岡市木伏地内の道路を通行中、被告経営の荷馬車業の被用者である訴外熊谷万作が、被告所有の荷馬車を引いて来るのに出会い、これと擦れ違う際、右の荷馬車を挽いていた馬が、突然はねて、駈け出したため、荷馬車に積載していた石炭箱が崩れ落ち、政子の胸部に当つた結果、同女は肋骨々折、頭蓋骨粉砕に因り、即死した。原告は愛妻の突然の死にあい、その精神的打撃は甚だしい。
元来、被告の右馬は、いわゆる荒馬で、物に驚き易い性質を有するのに、当時万作はこれが取扱いを誤つたのみならず、右荷馬車上の石炭箱の積載方法も適当でなかつた。本件事故は、万作の右過失に基因して発生したものであるから、その使用者である被告は、政子の死亡によりその内縁の夫である原告に与えた精神上の苦痛を慰藉する義務がある。
仮に、右の主張が理由がないとしても、被告は、右馬の占有者として、原告の蒙つた右の精神上の苦痛を慰藉する義務がある。
そして、右慰藉料は金三十万円を相当とするが、本訴においてはこのうち金十五万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である請求趣旨記載の日から完済までの遅延損害金の支払を求めるため、本訴に及んだと述べ、被告の抗弁に対し、原告が訴外野崎サメと婚姻したことは認める。しかし原告と同女は大正七年別居して以来夫婦関係は断絶をつゞけ、事実上離婚の状態にある。従つて、同女との婚姻関係は、別居以来、単に戸籍上にのみ存続していたにすぎないところ、昭和二十七年四月十八日には協議離婚の届出をも了した次第であるから、右事情は、原告と政子との正当な内縁関係の成立を毫も妨げるものではない。また、原告が、被告から、香奠二万円及び白米一俵を被告主張のような趣旨で受領したほか、なお十万円の提供を受けて本件の円満解決方を要望されたことは認めるがその他の被告主張事実は争う。と述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は、本案前の抗弁として、原告が、はじめは本訴において被告自身の不法行為を主張して、これを請求原因としながら、後に至つて不法行為者は被告の被用者訴外熊谷万作であるとして、被告に対し右訴外人の使用者としての責任を問うに至つたのは、訴の変更であり、右変更は請求の基礎に変更を生じかつ訴訟手続を著しく遅滞させるものであるから、許されない。
本案につき、主文同旨の判決を求め、答弁として、原告主張の日その主張の場所で菊地政子が死亡したこと、同女の死亡が被告所有の馬がはねだ結果であることは認める。その余の原告主張事実は争う。
原告は、大正二年十月十一日訴外野崎サメと婚姻したもので、政子死亡の当時も右婚姻は解消されていなかつた。故に原告が政子と同棲していても、これを目して正当な内縁関係であるということはできず、従つてたとい、政子の死亡が熊谷万作の過失に基因し、被告がこれにつき何人かに対し熊谷の使用者として政子の生命侵害による損害賠償の責任を負わねばならぬとしても、その権利者は、同女の正当な内縁の夫でさえないところの原告ではあり得ない。
次に右の主張が理由がないとしても、熊谷万作は、年令こそ当時僅か十九才に過ぎなかつたが、十四、五才の頃から兄の馬車挽を手伝つてこの道の経験を重ね、十六、七才頃にはすでに単独で馬車挽に従事した経験者であつて、本件事故発生当時の行動に照しても、何等の過失もない。すなわち、同人は当時(一)馬の手綱は鎖とロープの境を握り、馬を引張るようにして挽いたのであり、(二)馬が駈け出したときも、これを放さず、(三)また政子が下水溝から一尺五寸くらいの場所に立つているのを認めて危険を警告し、同女がなお動かないのを見て、右手で同女を払い除け、政子に危害の及ぶのを未然に防止しようとしたのであつた。また被告は右馬の占有者として、その種類性質に従い相当の注意を尽したものであるから、この点においても被告には何等過失はない。
よつて原告の主張は、いずれも失当であるが、被告は自己の法律上の責任はともかくとして、不慮の死を遂げた政子の霊を慰めるため、原告に対し金二万円及び白米一俵を贈り、なお他より借財してさらに十万円を提供したが、原告は三十万円以下では受取らぬとて受領を拒絶した事実がある。と述べた。<立証省略>
理由
先ず本案前の抗弁について判断する。原告が、はじめ被告に対し訴外菊地政子が昭和二十五年十一月二十七日、盛岡市木伏地内道路上で、被告の過失により、その操縦する荷馬車のため死亡したものとして、これに基き民法第七〇九条の損害賠償債務の履行を求めながら、後に至つて、右荷馬車は、被告の被用者である訴外熊谷万作が操縦中であつたとして、同法第七一五条により、右万作の使用者たる地位に基く損害賠償債務の履行を求めるに至つたことは、本件記録により明白である。ところで右の各請求権は、それぞれ、発生要件を異にするから、その発生の基礎たる事実を共通にする場合でも、性質上別個の権利と解すべきはいうまでもない。そうだとすると、これを互に変更した以上、請求原因の変更として、訴の変更に当るといわねばならないが、その請求の基礎は、右変更の前後を通じて、政子が前記の日時場所において被告経営の荷馬車に基因し、その責に帰すべき事由により死亡したことに置かれていることが明かであつてこの点においては何等の変更がないのみならず、右訴の変更は、本訴の進行経過に照し、著しく手続を遅滞させるものとも認められない。
よつて右訴の変更は適法として許さるべきである。
そこで進んで本案につき判断する。
原告は、訴外菊地政子が、被告の被用者である熊谷万作の過失または被告の占有する馬により死亡したことをもつて、同女の内縁の夫である原告に対し精神上の苦痛を与えたものとして、これが慰藉料の請求をするのであるが、他人の不法行為により死亡した者の内縁配偶者が、民法第七一一条により、婚姻届出をなした配偶者に準じ、他方配偶者の生命侵害による精神上の苦痛の賠償請求権を有し得るか否かが先ず問題である。昭和七年十月六日の大審院判例はこれを否定する。しかしながら、現在一般の内縁関係に認められている法律上の地位及び前記法条の立法趣旨に鑑みれば、婚姻届出をしなくとも事実上婚姻と同様の関係にある内縁の配偶者にも同条を類推し、内縁の夫婦の一方が第三者の不法行為によつて死亡した場合には、他方はこれにより蒙る自己の精神上の苦痛に対し、本条により賠償の請求をなし得ると解するのが相当である。たゞ内縁配偶者が同条により慰藉料請求権を取得し得るためには、その内縁関係は、あくまで法律の保護を与えるに値する正当な結合関係であることを必要とし、公序良俗または強行法規に反するため、男女の結合として正当視され得ないものである場合には、かかる内縁関係にある男女は、互に相手方の死亡により少くとも生命侵害に基く慰藉料請求権は、これを取得し得ないものと解さねばならない。
そこで本件を見ると、原告が昭和二十三年一月以来鎌田直定の媒酌により右政子と互に婚姻の意思をもつて原告方に同棲し、以来昭和二十五年十一月二十七日同女の死亡までこれを続けたが、その間婚姻届出をしないで終つたことは、原告本人尋問の結果により認められる。これによれば、原告政子は、婚姻届出をしないまま事実上の夫婦関係を結んでいたものと認めてよいが、一方、原告は、成立に争のない乙第一号証によると、大正二年十月十二日野崎サメと婚姻し、その旨届出て、右政子死亡の日であること当事者間に争のない昭和二十五年十一年二十七日にも、右婚姻は戸籍上解消されず。昭和二十七年四月十八日に至つてはじめて協議離婚の届出がなされた経過が明白である。そうすると、右原告と政子との内縁関係存続中は、他方において終始原告とサメとの婚姻関係が少くとも戸籍上継続していたことになる。かように、戸籍上第三者との婚姻関係の存在するままで成立している内縁関係の適法性とその法律上の効果の範囲は頗る疑問の多い問題であるが、これを公序良俗に反しないとするためには、少くとも、一、戸籍上の配偶者との間の事実上の夫婦関係が断絶していること、二、これにつき右配偶者との間に完全な自由意思に基く合意の存することが必要であることはいうまでもない。
よつて、さらにしさいに、原告と右サメとの関係を検討するに、原告本人尋問の結果に右乙号証を合せ考えると、元来原告は、サメと婚姻すると同時に、サメの父である清松の婿養子となつたものであるが、大正七年頃財産上のことから養父に不満を抱いた結果サメとの間に生れた二子を同家に残したまま無断家出し、樺太にはしつて、昭和二十二年盛岡市に引揚げるまでひとり同地に留まつたこと、その間サメは再婚せず二子を養育して来たのに、原告はサメに対し仕送りはもとより、音信さえも殆んど絶つており、盛岡市に引揚げてからもサメ方を訪れてはいないことを認定することができ、右認定に反する証拠はない。そうだとすると、原告の家出以来、同人とサメとの間には夫婦としての共同生活関係の中絶してしまつていたことが明かであるが、同時に、それは、原告がサメを遺棄したことに始まることもまた疑問の余地がない。原告本人の供述によれば、この間サメは樺太の原告のもとに、原告との離婚に同意する旨の書信を寄せたというけれども、たやすく信用できない。また仮にそのような事実があつたとしても、当時サメとしては、右認定からして、数百里を隔てゝ原告の消息さえ久しく窺い知ることを許されず、その帰来をいたずらに待ちわびてなすゝべもない事情のもとにあつたことが推測され、そのような事情のもとになされたサメの一片の通信をもつて、たやすく、サメにおいて原告との離婚を承諾したものとなし、これにより、従来の原告による遺棄の状態がその後はサメの同意を得たいわゆる事実上の離婚に変じたかの如く、これを当初より完全な合意に基き夫婦関係を解消して単に戸籍上の手続のみを他日に残す場合と同日に論じようとすることの当を得ない所以は、多言を要せず明白であろう。これを要するに、右認定によれば原告とサメとの関係は、原告の右家出以来原告による遺棄の継続に過ぎず、右認定に反しサメが原告との別居または離婚を真実承諾したとの証拠はない。
そうだとすると、原告とサメとの法律上の婚姻関係は原告の一方的遺棄によつては影響されず協議離婚のなされない政子死亡当時には、なお完全に存続していたものといわねばならない。従つて如何なる意味においても、原告とサメ以外の他の女との適法な内縁関係を成立せしめる余地はないことが明白である。この間原告が政子と事実上の夫婦関係を結んでも、それはひつきよう、夫妾の関係であるか、または一種の重婚的関係となるに過ぎず、とうてい、これをもつて公序良俗に反しない正当な内縁関係であるということはできない。然らば、原告は、この点からしてすでに政子の生命侵害に基因する慰藉料請求権を有し得ないことが明白である。
よつて他の争点の判断を省略し原告の請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 須藤貢)